パリ、モンソー公園で庭の歴史の旅 [下]

モンソー庭園、王侯貴族の庭園から公共公園へ

かつて18世紀、パリの郊外だったモンソーの地にあったシャルトル公のフォリーの庭園は、19世紀のパリ大改造に際して、パリ市内の高級住宅地の歴史的な公共公園として整備され、新たな時代を生きることになります。


19世紀のモンソー公園、マルゼルブ大通り側のエントランスからの鳥瞰図。アドルフ・アルファン「プロムナード・ド・パリ」(vol.2)1867-73年からの抜粋。

新たに開発されたパークビューのある高級住宅に囲まれ、馬車でも通れるメインの園路と、曲線で構成された散策のための園路が縦横する当時のモンソー公園の様子が見られます。

パリ大改造とモンソー公園

中世の城塞都市だったパリは、第二帝政期に、ほぼ現在の姿に近い近代都市へと変貌を遂げます。ナポレオン3世の命を受けたセーヌ県知事オスマンによって進められたパリ大改造と呼ばれた新たな都市計画では、都市の中での緑地が重要な役割を担います。中世以来の曲がりくねったパリの細い道は、利用が一般化してきた馬車には適応していないため渋滞が起こり、道沿いに立ち並ぶ建物の日当たりは悪く衛生状態にも問題があり、疫病が流行るなどの問題が累積していたパリの街。市民が健全に暮らせる都市へと、ブーローニュの森とヴァンセンヌの森を人間の両肺に喩えて健全な都市に不可欠なものとして整備し、上下水道の整備とともに南北に主要幹線道路を通して多くの街路樹が植樹され、ビュット・ショーモン公園やモンスリー公園などの緑地整備が行われます。これら新たに設計された公園とともに、モンソー公園も市民のための公共公園として再整備されることになりました。

ちなみに、ナポレオン3世自身が大変な庭好き、園芸好きであり、不遇の亡命時代を過ごしたロンドンの公園の緑のある街並みに感銘を受けていたということが、パリの都市整備の際の街路樹や緑地が重要な役割を担うことにつながったとも言われています。

モンソー公園周りは高級住宅街に

さて、パリ市は1860年にモンソー公園の土地を購入し、約半分を資産家ペレール兄弟に売却します。売却益は公園の再整備資金の一部を担う一方で、ペレール兄弟は公園の周りを高級分譲住宅地として不動産開発し、ひと回り小さくなった公園は翌年には整備されて、市民の散策、憩いの場として公開されます。都市開発での緑地の活用ばかりでなく、このような資金調達の方法などにも、当時産業革命で近代化に一歩先んじていたイギリスの手法の影響が見られるのも面白いところです。


公園の周りの色分けされた部分が分譲エリアで、現在でも当時の優雅なオスマン建築の建物が立ち並ぶ高級住宅街になっています。公園は、鋳鉄の柵で隔てられているものの、中の緑の風景は外側からも見通すことができ、建蔽率の高い市街地の貴重な緑の景観となるとともに、近隣住民の散策や出会いの場としての人気スポットになり、当時の小説家や画家たちを大いにインスパイアすることになりました。


古い絵葉書の1900年のモンソー公園です。散歩に集まった人々でごった返していますね...。

印象派の画家が描いたモンソー公園

さて、こちらは印象派の画家モネが描いたモンソー公園の風景のひとつ(1876年)。

緩やかなアンデュレーション(地面の起伏)の芝地に大樹と花木がふんだんに植えらたより自然な公園の風景。100年前とはだいぶ違う雰囲気になりました。

そしてカイユボットが描いた翌年(1877年)の作品です。

乳母車にも優しい緩やかな曲線の幅広目の園路には休息用のベンチが設置され、木々の緑陰が心地よい散策路を作っています。

アルファンによるモンソー公園の整備〜現在へ

モンソー公園の整備を行ったのは、パリ大改造での緑地計画の責任者であった造園技師ジャン=シャルル・アドルフ・アルファン(1817-1891)。彼は、ノーマキアなどのフォリー(ファブリック)をそのまま活かしてモンソー公園の歴史的な姿を残す一方で、より園芸的なイギリスのガーデンデザインから影響を受けて、様々な珍しい植物や花々を植栽に取り入れ、また、新たに最新の技術力を活かした流れや橋、岩壁などが(残念ながら写真はないのですが、初めてのセメント製の鍾乳洞が実現します)近代的なタッチを加えます。

そうした当時のテクノロジーに支えられて作られたのは、やはり絵画を見るような、人の息吹を感じる理想化された自然の風景でした。


19世紀に加わった橋と流れ。舶来の植物を多く取り入れた豊かな植栽も当時のスタイルです。街灯やベンチが設置されて、公共空間の利用者への利便性が考慮されると同時に緑と庭園建築や彫像が形作る美的な景観は、「庭園は芸術」との信念を持っていたアルファンにとって非常に重要なものでした。


自然風景には欠かせない偽岩の岩壁や洞窟、植栽の豊かさはフランス園芸の黄金時代と言われた19世紀らしい雰囲気を醸しています。


このアーチは、1971年のパリ・コミューンの際に焼け落ちたパリ市庁舎(現在の市庁舎は再建されたもの)の一部が、その後モニュメントとして設置されたもの。


カイユボットの描いたモンソー公園そのものの園路の一部。現在もベンチなどのアウトドアファニチャーには当時のデザインが継続して使われており、19世紀以来のパリの歴史的な雰囲気を演出しています。


元々は18世紀末にパリの城壁が拡大された際に建てられたロトンドと、アルファンの再整備の際に作られた立派な鋳造門。ジョギングをする人々が目立つようになったのは20世紀の大きな変化と言えるでしょう。

parc monceau
前出の古葉書で見た公園に集まる人々の密度の高さには驚きましたが、現在も常に散策する人々、親子連れ、芝生で寛ぐ人々など、常に沢山のパリジャンで賑わうモンソー公園です。彼らに混じってパリの日常気分を味わいつつ、この空間に重なる歴史時間に思いを馳せてみるのも良さそうです。
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◉パリの歴史の本:

 

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